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南大沢ブランド化宣言 

 時計で有名なセイコーのSSI社の元CEO服部純市氏が、かつて世界一であった時計産業がスイスにその座を奪われたのは、ブランド力の違いが一因であると話されていました。このロジックは最近の商品戦略ではしばしば論じられておなじみですが、服部氏はそれだけではなく、日本の時計産業がクオーツにシフトした結果、機械式時計を作る技術を失い、ブランド戦略だけで負けたのではなく、技術でも負けたと主張されています。確かに日本の時計メーカーはクオーツ技術を最も早く確立したことにより、正確な時計を安価かつ大量に作れるようになり、結果、スイスを抜き、世界一の生産国になりました。しかし、今日、消費者が本当に欲しいのは安価なクオーツ時計ではなく、数十万円もするスイス製の機械式腕時計です。少数の日本の大手企業のメーカーが大量の良質な腕時計を生産していのに、ほとんど利益を出せなくなった一方、多数の中小企業のスイスメーカーはそのブランド力と機械式という匠の技術力で少量生産ながら着実に利益を出しています。

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では、ここで何を言いたいかと申しますと、ブランド力にはその裏づけとなる技術、デザインなどの要因があり、それは大量生産するものではなく、また1日にして成るものでもない点です。
そこで、これを街づくりに置き換えて考えてみます。田園調布や成城学園というブランド力のある街づくりは街が最初に作られた時点から始まっています。
例えば田園調布は、大正時代末に日本で初めて計画的に開発され、分譲された庭園都市で、駅から放射状に伸びた道路に街全体が公園のような雰囲気を持っています。そして後に田園調布ブランドとして発展させたのが、開発当時から住民の代表が自主的に会合を持って街づくりの話し合いをした点です。

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田園調布の紹介サイト

では、南大沢はどうでしょうか?

多摩ニュータウン開発の一環として始まった南大沢の街づくりは、当時手付かずの多摩丘陵地帯で、森林と沼地が中心でした。そこにはたくさんの木々が生え、狸などの動物が生息していました。東京都と旧公団や公社が中心となって造成地開発が25年以上前から始まりましたが、世の中で脚光を浴びるようになったのは、旧公団が満を持して開発したベルコリーヌ南大沢の分譲でした。
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分譲時のパンフレット

ベルコリーヌは著名な建築家、故内井昭蔵氏がマスターアーキテクトとして開発にあたり、世界遺産でもあるイタリアの古都アッシジの丘をイメージして概念設計されました。コンセプトとしては「自然を力づくでねじ伏せることなく自然を生かし、建物と自然が一体化した街をつくる」「団地を作るのではなく、街をつくる」などあげられていました。この「美しい丘」を意味するベルコリーヌの分譲販売には、当時のバブル景気と相まって、数百倍の競争率が出るほどのやや異常な人気が出ました。その後、この鳴り物入りで開発された住宅地が別の意味でメディアに再登場しているのはご存知かと思いますが、竣工当時は確かに南大沢のイメージリーダーとなった建造物でした。

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アッシジ郊外のコルトナの街(4travelより)
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大規模修繕後のベルコリーヌ南大沢

その後のバブル崩壊後、ベルコリーヌの周りには公団、公社に限らず多くのマンション群が出来てきましたが、ベルコリーヌの概念を継承する意匠はありませんでした。それぞれ単体で見るとユニークであり、美しくもありましたが、街全体で見るとちぐはぐな印象は否めません。

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南大沢のマンション群

2000年9月にオープンした「ラ・フェット多摩」は、南フランスの街並みを模した建物の中にアウトレットショップを配したショッピングモールです。このモール全体のデザインがベルコリーヌと共通する色彩があり、南大沢の街のイメージが向上した点は否定できません。事実、ラ・フェット多摩オープン後、住民以外の買い物客が急増しましたし、新規に分譲された民間マンションは、必ずといっていいほど、そのセールスポイントにラ・フェット多摩をあげています。10年の暫定期間でスタートしたモールも、営業上成功を収めたこともあり、2010年以降の継続もされるようですし、最近オープンしたフォレストモールさえも、その外観はラ・フェット多摩の色彩と共通点があります。

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ラ・フェット多摩

さて、ここまで南大沢開発の過去を再確認していくと、自然と調和した街づくりを目指した南大沢は、ベルコリーヌ開発時から、ヨーロッパ調の色彩が取り入れられてきた点がわかります。面積比で言うと、それは街全体のほんの一部でしかないのですが、恐らく外部からはそのようなイメージを持たれているのではないでしょうか?

では、これから南大沢を住民の方たちとどのような街づくりをしていけばよいでしょうか?田園調布のように住民代表が自主的に会合を持って話し合うことはないので、いくつかサイバー上で有志が行える「南大沢ブランド化計画」を紹介します。

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「南大沢ブランド化計画」概念図

追記:廃プラ問題では、地域代表の有志の方が集合し、一致団結して問題に当たったのは記憶に新しいところです。

以下、次号に考えをまとめて紹介します。

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